2024年1月22日。
祖母が亡くなりました。
93歳。
身体が不自由な祖母を長年にわたり自宅介護をしてきた、両親、姉には感謝しています。
僕は何もできませんでした。
正確に言うと、「何もしようとしないから、何もできない」のだと思います。
申し訳ないです。
とりわけ、実の娘である母は、祖母のために常に奔走していました。
その喪失感は計り知ることができません。
ぽっかりと胸に穴が空いてしまったと思います。
なるべく連絡をするようにして、母が寂しくならないように努めます。
祖母。
たくさん甘やかしてもらいました。
浜松に行く度にウルトラマンの人形を1体ずつ買ってくれたこと。
浜松から帰る車中で膝枕をしてくれたこと。
みかんの薄皮を剥いて食べさせてくれたこと。
りんごをすりおろして食べさせてくれたこと。
母が不在のときに作ってくれる醤油味のチャーハン。
こっそりたくさんのお小遣いをくれたこと。
お小遣いをくれる袋が手作りだったこと。
全部覚えています。
ありがとう。
謝罪。
小さな頃だったから記憶が曖昧だけど、僕が後ろから飛びついて、足を強打して、それから足が悪くなったよね。多分。
本当にごめん。
小学校の時の卒業文集。
将来の夢を「お医者さん」って書きました。
祖母の足を治したかったからです。
ごめん。
恥ずかしくて誰にも言えてないけど、お医者さんどころか、転職活動中です。
仕事が長続きしなくてごめん。
最後のわがまま。
来週の最終面接、見守っててください。
祖母がいないことがまだ信じられないです。
これからも謝罪と感謝を繰り返すと思います。
今までありがとう。
本当にお世話になりました。
寂しいよ。
色々頑張るから、天国で見守っててね。