強い思想
強い思想をもつこと。
以前の私ならばそのような人を受け入れることができなかった。
なぜなら、私が思うにそのような人は、常に自己本位で他人の意見を受け入れず、自己の完結した世界のなかで呼吸をし、ひいては他人の呼吸さえも奪いかねない「圧迫感」を孕んでいるからだ。
最近は、そのような人に対する見方に変化があらわれてきたように思う。
もしかして彼らは「強い思想」をもつために、たくさんの苦い経験をし、あるいは、「強い思想」を持たざるをえない環境、社会のなかで生き、それを武器として戦ってきたのではないか、と。
戦後の人たちは社会の混乱、それまでの価値観の転覆、国が主導してきた方向性の崩壊のなか、自らの足で歩んでいかなければならなかった。
そのために個々人が「強い思想」をもち、それを社会に問うという姿勢をみせてきた。
自らの「旗」を掲げ、突き進んできた。
彼らについて、一度、立ち止まって考えてみよう。
じっくり観察してみよう。
「強い思想」をもつことになった経緯、契機。
想像してみよう。
自らの「旗」を掲げることになったその姿を尊敬してみよう。
そうすればより「人間の深遠」を感じることができるようになる。